改めて考えてみるとコインが製造されてから初めてコイントスをするその瞬間が
そのコインにとっての0基点であり、その後の全ての試行がそこを中心に評価されるべきなのかなあ。
つまりコインには帰るべき故郷というか固有の基準、均等線があるのだろうか。
仮に10回振る内に最大で2回分表が多くなる瞬間が一度だけあったとしよう、
でも100回振れば最大10ポイント表が多くなる時期が一度は登場するかも知れない。
定期的にトスを繰り返すとして、千回、万回、億回とここで言う時間軸を伸ばしていけば
それだけ極めて珍しい大差の状態に出くわす確率も高くなる。
その結果を波線グラフにするとちょうど波長を変えながらも0を境に+とーを行ったり来たりする
オシロスコープか地震計の針みたいな感じになるんじゃないか予想するけど、
時に0に向かっている途中でまた離れるなんて不規則なことも起きるだろう。
ただ、何億年に一回しかない様な大きな振れというか片寄りが
製造後いきなりきてしまう確率も、数千年経ってからやっと訪れる確率と同じぐらいある。
つまり、そのコインがどの様なサイクル(結果としての)を実践し、どの様に収束して行くかはまったくわからない。
となるとイーブンな状態(+-0)でさえあれば時間軸上はいつを基点、始まりとしても同じ事だとも言える。
とは言っても不思議なことに統計上極端な振れ状態にあるにも関わらずその様な過去の片寄りを知らない人が
コインの持つ収束性を実験しようと思い立ってその日をゼロ回目と定めれば
その後の数値は今度はそこを基点として正しく均等化する様な気もしてならない。
つまり過去に関係なく常に任意の一回が基点になり得るという考え方もまたあるのでないだろうか。
そう考えると本当に固有の0基点や長期的な収束は存在するのかという大きな疑問に突き当たってしまう。
やはり投げ続けることでその偶然の積み重ねとして統計上大きく片寄る事もあるが、
出目自体は毎回リセットされていて仮に合計が大きく一方に振れていても元に戻ることはないのかも知れない。
振れたら振れたで振れっ放しで、偶然に戻ることはあっても必然的な収束というのはないのかも。
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